【旅行記】生と死のウィーン:死んでいるもの

【旅行記】生と死のウィーン:死んでいるもの

2019年6月に初めてオーストリア・ウィーンを訪れた。
大学時代に世紀末美術にハマり、いつか行ってみようと思っていた場所。グスタフ・クリムトやエゴン・シーレ、ウィーン分離派の絵や作品を一度拝んでみたかった。

2日間ウィーンを歩いて回って頭に浮かんだのが、「生と死」という言葉。

ベルヴェデーレ宮殿を見に行った帰り道、頭の中で「今回のウィーンのテーマは『生と死』だな」というのが聞こえた。それが私自身の声じゃなかったもんで、ついに幻聴が聞こえはじめたか、やべえなと驚いた。きっとジャンヌ・ダルクもこんな感じでお告げを聞いたんだろう。

しかしよく考えてみると、ヨーロッパの国々は戦争や疫病を経て、多くの死の上に発展してきた。ウィーン市街でその名残を見かけて、無意識のうちにそう思ったのかもしれない。

早朝。天蓋付きベッドのカーテン越しに見た部屋。新しくていいホテルだった。

ウィーンには大小様々な美術館がある。19世紀末のアイコニックな作品を集中的に見るなら、ベルヴェデーレウィーン応用美術館分離派会館あたりに絞られるから、今回の滞在ではそこへ行こうと思っていた。

金曜日の昼過ぎにウィーン空港に着き、ホテルに荷物をおいて時計を見ると14時前。長時間フライトの後で集中力は皆無だったので、じっくり見て回りたい美術館は明日に回して、この日は街ブラすることにした。

ペスト記念柱(三位一体像)

「ペスト」はもちろん、黒死病とも言われたあのペスト。いわゆる「ザ・観光名所およびショッピングストリート」にあり、ウィーンを訪れた人なら絶対一目見ていく場所だと思う。

この記念碑は、17世紀後半に猛威を振るったペストの終息を記念して作られたものだそう。制作を命じたのはマリア・テレジアの祖父レオポルド1世。
(参考:「グラーベンのペスト記念柱」

「死の病が去ったよ神様ありがとー!」とこんなに立派な記念碑を建てるという行為が、私にとっては斬新に思えた。もちろん皇帝の力の誇示もあったのだろうけど、それでもペストが去ったことがどれだけ喜ばしいことか、それまでにどれだけ多くの犠牲者が出たかということを想像せずにはいられない。
燦々と輝くこの美しい像の後ろに伸びるのは、深い死の影なのである。

シュテファン大聖堂と骸骨

シュテファン大聖堂(Stephansdom)は14世紀に建てられたゴシック様式の大聖堂。シュテファン寺院とも呼ばれる。ペスト記念柱からも近い。

大聖堂の入り口付近で見つけたのが、この骸骨たちが刻まれた石碑。
何が書いてあるかは全く読めないし検討すらつかない。しかしどうしてこんなに骸骨がいるんだろう。骸骨モチーフ好きの私はもうここの部分に釘付けである。

お分りいただけただろうか

これは後日談なのだが、帰国後もシュテファン大聖堂について調べていたら興味深い記事をいくつか見つけた。なんと、大聖堂の地下のカタコンベ見学ツアーがあるんだそうだ。
一日数回のツアーで、所要時間は30分ほど。希望者が定員に満たなかったら中止になることもあるらしい。

地下のカタコンベでは、ハプスブルク家一族の内臓が収められた銀器や、ペストで亡くなった2000人近くの遺骨などが見学できるとのこと。養老孟司先生も著書「身体巡礼」でこのツアーについて述べているらしい(まだ読んでいない)。

このツアーを見落としていたことが非常に悔やまれる。ビビって有名なカフェに入れなかったとか、シュニッツェルを食べ損ねたとか、やり損なったことがたくさんあるので、絶対にもう一度ウィーンを訪れてやると決めている。

大聖堂とペスト記念柱がある旧市街地エリアをうろうろと歩き回って体力が限界を迎えた。時差ボケと疲れで頭もぼーっとしてきたので、まだ日も暮れない時間にホテルに戻った。といっても、こちらは21時を過ぎてもまだ外が明るい。

続く